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人生一度きり最高の思い出を作り上げよう

石川観光のもっともお勧めしたいスポット

みなさん旅行に行く前の予定を立てる際に、あと一か所ぐらい行く場所を増やしたいなとなったことはありませんか?

 私は旅行によく行くのですが毎回のようになります。ネットで調べて決めるのですが、ネットにはあまり実際に行ってどうだったのかを詳しく書いてあるのが少なく、たくさんのページを調べることになります。

この記事では実際に行ってどうだったのかを詳しく書いていきます。写真は自分のものだったり、提供してもらったものを使っています。

この記事を読んでいただけると旅行のプランの参考になること間違いなしです。

 

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金沢城

1.金沢城

1580(天正8)年に、浄土真宗第11世宗主、顕如織田信長と和議を結んで本山の石山本願寺から退去すると、加賀一向一揆も勢いを失い尾山御坊は柴田勝家の甥、佐久間盛政に攻められて陥落した。盛政はここを居城として城郭や城下の整備に取り組んでいたが、賤ケ岳の戦いで豊臣秀吉に敗れ刑死。賤ケ岳の戦いでは途中で戦線を離脱し、秀吉に降伏した前田利家が、その功により能登一国に加えて加賀の石川郡、河北郡を与えられ入封。これが後の「加賀百万石」の原点となった。

利家はさっそく城の整備にとりかかる。このとき力を発揮したのが、キリシタン大名として有名な高山右近である。右近は秀吉のバテレン追放令に際して棄教せず、大名としての地位を手放す選択をし、このときは前田家に庇護されていた。五大老として大阪や京にいることが多かった利家に代わって、嫡男の利長が領国の差配に当たっていたとされ、右近の助言のもと、利長による城の整備も進んでいたものと思われる。

一方、1602(慶長7)年には天守が落雷による火災で焼失する。その後、天守は再建されず、御三階櫓と呼ばれる小規模なものが天守台に置かれた。金沢城はそれからも度々、火災に見舞われており、1759(宝暦9)年には全焼の被害にあっている。

明治を迎えた1871(明治4)年には兵部省(後の陸軍省)の管轄となり、太平洋戦争が終結するまで、陸軍部隊が駐屯した。この間、1881(明治14)年にも火災が発生しほとんどの建物が焼失している。なお、このとき焼け残った石川門、三十間長屋、鶴丸倉庫は後に、国の重要文化財に指定されている。

1978(昭和53)年、城内をキャンパスとしていた金沢大学が移転を決定し1995(平成7)年に完了。翌1996年には石川県が国から城地を取得し、「金沢城公園」の整備が始まった。その後、菱櫓、河北門、いもり門、鼠多門などが復元されている。2008(平成20)年、国の史跡に指定された。

2.アクセス

アクセス(電車)    
JR北陸本線金沢駅から北鉄バスまたは西日本JRバスに乗り「兼六園下・金沢城」下車、徒歩約5分
JR北陸本線金沢駅北鉄バスに乗り「南町・尾山神社」バス停下車、徒歩約7分

 

アクセス(クルマ)    
北陸自動車道・金沢西ICから約30分
北陸自動車道・金沢東ICから約30分
北陸自動車道・金沢森本ICから約20分

 

駐車場    
有料

 

3.私の感想

石川門、河北門、菱櫓、五十間長屋、橋爪門続櫓、三十間櫓、鼠多門、鶴丸倉庫と公開されている全ての櫓や門を制覇しました。2時間強の充実した時間でした。天気にも恵まれ大満足でした。ちなみに、櫓や門の内部は全て土足厳禁です。入口で靴を脱いで見学となります。脱ぎ着しやすい靴での登城をお勧めします。

 

見事な庭園と、ゆったりした空間で、観光地の中でも混み合わずゆっくり過ごせる場所でした。桜も見事で、季節ごとに来たいとおもいます。